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映画『羊の木』を観て思ったこと

年末から映画館で予告を観て気になっていた作品だったけど、公開終了間際に滑り込みセーフで観てきた。久々に考える感じの映画だったので、ちょっと感想を残そうと思う。(若干ネタバレ有)。超筆不精でいろいろ書きたいことも貯めてるし、マジでいきなり重いテイストのものを書くのでアレだけど。

 

 

「羊の木」の舞台である街・魚深市には、「のろろ様」という神様がいる。のろろ様は今でこそ神様だが、元は「海からやってきた悪いもの」らしい。村人がのろろ様と戦って勝ったため、正体不明の悪いものだったのろろ様は地域の守り神になったことが語られている。しかし、今でものろろ様は「あんまり見てはいけないもの」だ。

昔「海から来た悪いもの」だったのろろ様はアンタッチャブルな扱いをされてはいるものの地域の神様になった。では人間はどうか?というのがこの映画のテーマだと思う。犯罪者、特に殺人犯の更生は可能か?法的には罪を償った人を、地域や人は受け入れることができるのか?というのが街に6人の元殺人犯がやってきて起こる出来事により描かれている。

 

のろろ様は村人に成敗されることによって改心し、地域の守り神になった。住人から疎まれる存在ではないが、親しまれているわけでもない。感謝はしなければいけないけれど、仲良くする存在でもない。

劇中で魚深に6人の元殺人犯がやってきたのは元受刑者を地方都市に移住させるという国の極秘更正プロジェクトによるものだ。このプロジェクトは受刑者の生活にかかる税金を削減するためのものだということ、そして、過疎対策や働き手の確保という意味もあるウィンウィンのプロジェクトだということが劇中で明言されている。もしかしたら、主人公は知らされていないものの、国から市へ金銭的な面での援助もあったかもしれない。

 

プロジェクトの狙い通りに、元犯罪者であることが誰にもばれなければ、6人の元殺人犯は街にとって感謝すべき存在になりえた。

 

映画の中で、最終的に街に残った元受刑者たちは魚深に居場所を見つけた。役所が確保した家に住み、役所を通して紹介された仕事に就いて、前科が知られたりしても、街の全員に受け入れられていなくても、自分がいられる場所を見つけ、自分の暮らしを得た。劇中でのセリフでも何度かこの「居場所」について触れられている。

 

 では、再び罪を犯してしまった登場人物は「居場所」があれば殺人を犯すことはなかったのだろうか。彼にも居場所はあった。恋人を作り、「友達」として扱ってくれる人もいた。彼は異様なほどに「友達として」ということにこだわっていた。その彼の居場所は、元殺人犯であることがばらされることで一度壊れてしまった。街での殺人について「どうせ死刑だよ」という彼に、本心は分からないが彼の「友達」として、「警察に行って自首しよう」「また街に戻ってくるの、待ってるから」と語りかける人物をも手にかけた。

 

また、劇中で再び殺人をおかした人物は「お前みたいなやつはなんにも考えずにやる(人を殺す)んだよな」と言われる。そのセリフどおり、彼はためらいなく、殺せるタイミングですぐに都合の悪い相手を殺した。そしてそれは、恋人に元殺人犯であることがばれる前にも行われている。つまり、居場所の有無と彼の殺人はおそらくあまり関係がなかったという描かれ方である。

さらに他の元受刑者たちの殺人は、自分にいじめや暴力といった害を加えてきた人物を殺してしまった、事故ととらえられなくもない殺人だった、相手個人への明確な憎しみや殺意のないもの(ヤクザの抗争)という描かれ方である。しかし、彼の殺人はなんだか得体の知れないものだった。そして、彼は未成年のときにも前科があった。

要するに、劇中での彼は「更生の見込みのない人物」として、他の元受刑者たちとは違った存在に描かれていたように思われる。

 

そして彼は「悪いもの」から「神様」になったのろろ様に、裁かれるようなかたちで最期を迎えた。

 

 「人が肌で感じたものは正しい」「でも私はあんたが悪い人だと思ったことはないよ」というセリフがあった。「悪い人」のままの人とそうでない人。その線引きは可能なのだろうか。少なくとも劇中で、再び罪をおかした人物がずっと「悪い人」だったわけではないだろう。少なくとも、彼に友達として接していた人物は彼を四六時中「再び人を殺すような人物」として扱っていたわけではない。彼が「悪い人のまま」であることは、周りの人に肌で感じられなかった。けれど結果的に、刑務所で法的に罪を償っても彼の「なんにも考えずにやる」性質は変わっていなかった。

 

 この結末をどう受け入れるかはとても難しい。そして、彼とは違う存在として描かれていた他の元受刑者たちの殺人も果たして彼の殺人と「違うもの」として扱われるべきなのだろうか。明確な答えが出ることは絶対にないと思う。「裁判では信じてもらえなかった」と言って語られた他の元受刑者の前科についても、それが本当であるかは誰にもわからないのである。こういった点も含め、難しいし、怖いし、考えさせられる映画だった。

 

法務省による平成29年度版犯罪白書によると、平成28年度に刑法をおかして検挙された人のうち、再犯(道路交通法違反以外で、以前に検挙されたことがある)で捕まった人の割合は48.7%らしい。さらに、平成28年に殺人で検挙された人は765人。そのうち初犯は69.9%。前科(道路交通法違反以外での検挙)がある人は27.5%で、殺人での前科がある人は2.6%である。つまり、平成28年に殺人で検挙された765人のうち20人は以前にも殺人で検挙されている。この数字をどう受け止めるかも難しい。そして、数字だけ見ても、その内訳は分からない。そして、内訳を知れば「悪い人のまま」変わらない人を見出せるわけでもない。逆もまたしかりである。

 

それに、当たり前だけれど、映画と現実は切り離して考えるべきだ。現実を考えるきっかけにはなっても、映画から直接現実を見たり、決めたりことはできないし、するべきではないと思う。

 

罪を償うとは何か。再犯を犯した人はもう一生更生することはないのか。もともと「そういった性質」の人がいて、変わりようはないのか。「居場所」の有無が重要なのか。現実の統計を見ても、この映画を観ても、私個人の中での答えが出ることはなかった。そもそも、考えることは必要だけれど、絶対に答えの出る問題ではないと思う。

 

公開終了間際の滑り込みではあったけれど、今日この映画を観てよかった。また、改めて観たいとも思う。そして、あと数年後にはこの映画を観て思うことも変わっているんだろうか。多分、錦戸君と木村文乃さんの顔がめちゃめちゃいいという事実は変わらなくても、感想は変わるんだろうなと思う。

 

という、真面目にいろいろ考えちゃう映画を観た感想でした。