与太話

いろんな話

「〜のために」という言葉

このところメディアでは、毎日のように「危険を顧みず、最前線で戦う医療関係者の方や、私たちの生活のために今も働いてくれているエッセンシャルワーカーの方々に感謝を」といったフレーズが流れている。

 

正直言ってめちゃくちゃ違和感があるし、私はこの言い回しが嫌いだ。

 

この状況で望んで最前線に出ている人ってどれだけいるのだろうか。ていうか、「危険を顧みず」な訳ないだろ。そしてそれらの人々が働いているのは、「私たちのため」なのか?

 

医療関係者と一口に言ったって、職種は様々だ。医師や看護師だけが医療従事者ではない。そもそも医師や看護師だって、好き好んで命を懸けているわけではないだろう。職業的な使命感や責任感というのも、個人差があって当たり前だし、本人の個人的な感情とは全く別のものだと私は思う。

それに対して、「最前線で戦っているヒーロー」「命を懸ける覚悟があったからこの職業に就いた人」「危険を顧みない勇気ある素晴らしい人」と一括りにして神聖視するように扱うのはどうなんだろうか。完璧で理想的な、イメージ通りに高潔な医療従事者がいたらその方には大変失礼で申し訳のない疑問だけれど。

 

そもそもエッセンシャルワーカーと呼ばれる多くの人は、命がけで使命を果たすために仕事します!なんて想定で入社してないと思う。正社員だってパートだってアルバイトだって。まさか、自分がこんな形で危険にさらされながら働くなんて去年の今頃は夢にも思ってなかったんじゃないか。強盗が来るとか、事故に遭うとか、危ない客に殺されるなどの確率は普段から0ではないとしても。

少なくとも自分がレジのバイトしてた時は「誰かの生活を支えるため、守るため!命がけでバイトするぞ!おー!」なんて意気込みはなかった。時給870円とかだったし。誰かのためじゃなく、自分の生活の足しにするための労働だ。

だから「私たちの生活を守るため云々」のフレーズを聞くとえ~…と思ってしまうのだ。生活の手段として働いてたらなんか突然謎のウイルスがはやり出して最悪~みたいな状況で、「私たちのために…」とか勝手に感動仕立てにされたら私ならブチギレると思う。

 

勿論、感謝や敬意を示すことが悪いのではない。レジに立っていたとき、店員をぞんざいに扱わないお客さんの存在は確かにありがたかった。この状況下で疲弊しながら働いている全ての人に敬意を持つこと、自分がしてもらったことに対して感謝を示すことは大切だと思う。

ただ、「私たちの生活のために」などという言葉は、「今もそういう労働に従事している人たち」と「私たち」の間に線を引いている。「私たちのために」という言葉はこの状況において、誰に使うにしたってかなり傲慢じゃないか。与えられる側にいる私たちと、私たちのために働く人たち、という線引きの意識が無いとは言えないと思う。そして、その人たちを「危険を顧みない勇敢な人」と定義して、ある種好き好んで自発的に働いているように錯覚するのはあまりにも暴力的だ。

 

ジャニーズSmile Up! Projectの一環としてYouTubeにアップロードされた動画で、近藤先生が述べていた言葉が印象に残っている。

「医療者のためにとかよく言っていただくんですが、ご自身のために。」

(https://youtu.be/75u-4r5r3eYSmile Up! Project ~続けよう、僕らにできることを。~「最前線でウイルスと対峙する医師インタビュー」Sexy Zone 中島健人 より)

今やっている自粛やステイホームの本質的な意味はこれだ。

自分の身や家族などの同居している人を守ること。勿論、自分が感染しないことは、感染の拡大を抑えること、エッセンシャルワーカーと呼ばれる人にうつさないこと、そして医療に関わる人への負担を減らすことにはつながるだろう。

けれど、まずは自分のためだということを忘れてしまったかのように、医療従事者のためだとかエッセンシャルワーカーのためにという語りがしばしば行われる。そしてそれらは大体、"感謝"とセットだ。

誰かのためにという悦に浸りながら、線の外から人に一方的に使命を背負わせ、“感謝”をして良い気分になること。昔からよくあることだけど、私は好きではないし、良くもないと思う。この"感謝"は決して、その労働と等価交換にはならない。物資にもお金にもならない。自分の感情のための感謝であり、決して相手のためではない。

誰も私や私たちのために存在しているのではない。「私のため」「あなたのため」という考えは非常に厄介だし、危険でもあると思う。アイドルを応援するにあたっても、こう考えたことは覚えておきたいと思ったので、まとめた。