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給付金で顔を買って呪いを解いた話

特別定額給付金の10万円で新しい顔を買い、コンプレックスの呪いを解きました!!!ヤッター!!!埋没法万歳!!!

 

念のため先に述べておくと、一重がダメで二重が至高!一重の者は皆整形すべし!という話ではありません。美しさに絶対はありません。私が「マジの美のイデアじゃん…」と思っている人に対しても、「苦手な顔だわ」とか「〇〇の方がかっこいいが?」という人は世の中に確かに存在する。

 

結局自分の容姿は、自分が気に入るか・これがありのままの自分であるとして受け入れられるかだと思う。私はどっちも無理で、長年人生マジツラ激病みになってたので整形しました。

 

整形してどうだったか単刀直入に言うと、

  • もっと早くやったらよかった
  • 悩んで泣いてた時間全部無駄だった
  • 精神の不調8割改善された
  • 頭痛、眼痛良くなった気がする
  • 容姿のコンプレックスが泣くほど辛い人、とりあえずカウンセリングだけでも行ってみると良いよ!

という訳で、整形に至った経緯や実際に整形するにあたってどういうステップを踏んだか、そして実際やってみてどうだったかを長々まとめてみようと思います。上に書いてあることが大体全部なので長文自分語りはNO.という方はここで終わってください。

 

いかにして人は私が「ブス」の呪いにかかりどのように苦しんだかを記録する事で、呪いにかかった人には「気にしすぎだよ」「整形までする必要ないでしょ」なんて言葉は効かないなというのを少し分かって欲しい。ワイドショーなどに端を発する整形議論はあまりにも上滑りしていると思うので。

 

この文章では「ブス」の呪いで精神がやられていったことを事細かに振り返るため敢えて「ブス」というワードがたびたび登場します。現在進行形で辛い思いをしている方は自衛してください。

 

目次

 

「ブス」という呪い

小学生、呪いにかかる

親族にはそれなりに可愛がられてきたと思う。しかし、小学校に上がる頃には自分はブスなのでは?という疑念が生まれていた。モー娘。の誰にも似てないし、親族が「△△さんのところの◯◯ちゃんは美人さんねぇ」という◯◯ちゃんは明らかに自分と造形が違う。

 

極め付けは、四年生の頃にクラスの比較的仲の良かったAちゃんに言われた「めろ太郎ちゃん、ウチらとちょっとタイプ違うよね笑 写真とかで並ぶとさ」という旨の発言だった。

その子の家のお爺さんは写真が趣味で、公園で自分の孫と遊ぶ私たちを撮ってその写真をくれることがあった。その日貰った写真を見ながらの一言に、意地悪な気持ちがあったかどうかは分からない。ただ、その時疑念は確信に変わった。

 

「私って、ブスなんだ!やっぱり!」

 

ガーン…

途端に手に持っている写真が小汚いものに思えてきて、家に帰るまでの途中にあるスーパーのゴミ箱に捨てた。頭が真っ白だった。この日から私は「ブス」という言葉の呪いにかかる。

 

私の母は当時、当時流行っていた(?)整形番組が大好きだった。この番組は容姿にコンプレックスのある人を集め、「この人は今まで容姿のせいでこんなひどい目にあってきた!」という人生振り返りVTRを流し、整形をプロデュースし、整形後の姿を褒め称えるという内容だ。整形した人は涙を流しながら喜んで、スタジオにいる芸能人も「これから幸せになれるね」なんて言葉をかけていた。母は「綺麗になって良かったわね~」やら、「これは流石に被害妄想じゃない?嫌ね~性格まで歪んじゃって」などと言いながら視聴していた。ひでぇな。

 

この英才教育によりブスは性格が歪む、ブスは幸せになれない、ブスはみんなに嫌われる、そして整形すればみんなに祝福される…そう思っていたので、自分がブスだと知った瞬間の衝撃は凄まじかった。

 

暴れん坊将軍タイプのクソガキだった私は「身の程を弁えねば」と思い、徐々に自分に自信を持つことがなくなった。なんとなくクラスの女子と遊ぶのが億劫になった。ゲームキューブでクラスの男子と遊ぶことも少なくなった。今振り返れば男女で遊ぶには絶妙な年齢に差し掛かり始めたのも大きな要因だと思うが、とにかく激闘忍者大戦で遊ぶことはなくなった。

 

呪いは認知がマジで歪む

中学にあがると、部活はそれなりに楽しくやっていたもののクラスでは2mくらい宙に浮いていた。今思えば明らかに外見よりも酷い中二病だった点に問題があるのだが、自己認識する原因がブス一点だった。

 

そしてこの中学は驚く程にギスギスした学校だったので、"イケてる層"から標的にされた"イケてない層"の子はひどいと故意に転ばされて前歯を折ったりしていた。今思うと犯罪もいいとこである。こんなの加害する側が明らかに悪いのだが、私はこの学校でブスが生きていくことの厳しさを過剰に学習する。

呪いはあっという間に進行した。認知がグニャグニャに歪み、この頃から何かうまくいかないと全て自らのブスのせいにするようになる。あまりのグニャグニャ加減にダリの描いた絵も驚愕である。

 

高校では中学の人がほとんどいないところに進学し、優しい人間に囲まれていたので基本かなり楽しく暮らした。

ただ、彼氏ができることはなく喪女板のまとめを見るようになる。喪女板は予言の書のように思えた。あと、「美人は金持ちと結婚して、美男美女の子供を産んで、そいつらは潤沢な教育資金のもと良い教育を受けてそのまま大学まですっと行くんだな~」とぼんやり考えてちょっと悲しくなった(これはちょっと当たってると思う)。それ以外は全部楽しかった。当時大好きだったZipper系の服を着てメイクもはじめた。漠然と私も二重だったらもう少しマシなのではないかと思うようになった。家では鏡の前で毎日1時間くらい顔のマッサージをしていた。二重の跡付けをしたかった。跡は付かなかった。

 

楽しかったので毎日遊びまくって授業中にポケモンしてたら普通に勉強ついていけなくなって落ちこぼれた。これは明らかに勉強しなかったのが悪いんだけど、「やっぱりブスだから人生上手くいかないんだ」と考え始める。いよいよヤベー。

 

大学生活はマジの鬼門

「美人」と「それ以外」

大学生になると、美人とそれ以外の扱いは雲泥の差になる。一般的に大学にはミスコンなんてものもあり、良い成績をおさめると将来は明るく照らされる。悲しいかな社会の縮図だ。美人は金をもらえるし、その後の将来も約束されている…幸い(?)通っていた大学のミスコンは全く盛り上がっていなかったが、SNSなどで高校の同級生がミスコンで活躍してるのを見かけると凹んだ。やっぱ住む世界、違うよね~…

 

親元を離れ、毎日アイプチをするようになった。アイプチは良い魔法だった。

ただし、魔法で変身しても大学で一番最初に属したコミュニティは酷かった。そこで「美人」以外が生き残るには、ウェイ系の男と寝まくって「良い女」認定をうけるか、とにかく自分をネタにして「女芸人」になるか、「盛り上げ役」としてコールでガバガバ酒を飲むしかなかった。魔法を使っても「美人」にはなり切れなかった私は女芸人として生きていく事にした。

 

なんとか耐えたかったが、ある時女芸人キャラとして活躍していた先輩に不幸な事故が起こる。詳しい意言及は避けるが、属するコミュニティ内、ひいては世の中では女は「美人」として扱われなかったら最悪死ぬんだと思うような最悪の出来事だった。私はそのコミュニティを抜けて部活に専念した。

 

部活は運動系で、汗でアイプチは取れるし時に合宿などでスッピンを晒す機会もあった。けれど活動自体がすごく楽しかったし、過剰なブスいじりなどもなかったので安心できる場所だった。そもそも、外見よりも根性と体力がモノを言う世界だった。

 

「ブスだから」を口にするとろくなことがない

しかし、身に染み付いた癖で誰も求めてないのにブスネタで場を盛り上げようとしてしまったり、ふとした瞬間に「私ブスだからさ~」が口をついて出たりする。内心「そんなことないよ」待ちの一番めんどくさい奴である。しかも「そんなことないよ」と言われると一瞬安心するものの、その直後には「絶対私のこと可愛くないと思ってるくせに…」と思っており救いようがなかった。心の底で誰も信用していないのである。

 

自分に自信がないとやばい男が寄ってくる。どうしようもなく捻くれて他人の「可愛い」「綺麗」が信用できないくせに、やっぱり言われたい。このワードを巧みに使って擦り寄ってくる人と付き合う事になる。初めて彼氏ができて嬉しかったけれど、付き合い始めると私が自分の思い通りにならないとすぐに怒り出す人だった。お金も時間も随分損した。成績も下がった。けれど、「ブスの私と付き合ってくれてるんだからこれくらいは我慢すべきなのかな…」と思ってしまっていた。どうにか周りの手を借りて別れる事に成功するものの、かなりのダメージを受け、「私のこと好きとか可愛いって言う人はイカれたモラハラ男だけなんだ…」と思い込むようになる。

 

妖怪人間の生活

ある日、どうしても気の合わない子が、私と一緒に映った写真を勝手にTwitterやインスタやFacebookに上げていることを知った。写真自体が苦手だったし、なんのことわりもなく知らないところで自分の写真が自分の知らない人に向かって大公開されていると知り憤慨した。「あんただってブスのくせに、よりブスな私と一緒の写真は安心ってことか~?!」と思いハッとした。いつの間にか、「ブス」という言葉は私が他人に文句を言う時に真っ先に出てくる言葉になっていた。私は自分にかかった呪いを人に向けるようになっていた。

 

最悪だと思った。私は最早、意地悪ブスの呪い女である。

 

この辺りからかなり拗らせてしまい、気がつくとまともに服が買えなくなっていた。高校生の頃はあんなに服が好きだったのに、「ブスが何着たって無駄」「ブス安いもの着てるとみすぼらしい」「高い服着たって滑稽」と自分への悪口が無限に湧く。今日こそ服を買うからなと思って出かけるものの、何度もパルコのトイレに駆け込んで泣いた。店員さんに話しかけられてその場で突然「すみません」と言いながら泣いたこともある。家で一人でいるときも突然涙が止まらなくなる。そして、整形垢や美容垢を狂ったように閲覧して極端すぎる思想に触れ、より一層自分に追い討ちをかけるようになる。この時期は正直、家族共用PCでREBORNのメル画集めてた時よりヤバイ思い出が沢山ある。日々、早く人間になりたいなぁと思いながら暮らしていた。

 

転機その1:ジャニーズにハマる

日中楽しく活動していても夜にはヤバいくらい病み散らかしていたある日、突然ジャニーズにハマる。友人からHey!Say!JUMPのコンサートDVDを見せてもらい、トんだ。9人もキラキラした人がいて、黙っているだけでも五千兆円くらいの価値が生まれそうなのに歌って踊って微笑みかけてくれる映像を見て脳がスパークした。当時ルッキズムの極みにいた私からは「顔がいい…」以外の褒め言葉が出なかった。語彙力がなさすぎる。Hey!Say!JUMPはビジュアル以外にも素晴らしいところがたくさんあるグループです。

 

迷いに迷った挙句ファンクラブに入会した。どうしてもHey!Say!JUMPが見たい…けれどキラキラフワフワ量産型の女の子に混じった時自分は殺されないか心配だった。ブスに命の安寧はないのである。中学時代の怖い女がジャニヲタだったので、ジャニーズを好きな人間全てが怖かった。こうしてビビりきった結果、DEAR.の申し込みを見送る。今思うと「皆JUMP見ててお前のことは誰も見ない!申し込んどけ!!」という感じである。Hey!Say!JUNPを見に行くために、どうにか身なりを整えようと考え、調子のいい日に化粧品を買ったり、美容室に行ったり、通販で服を買う練習をしたりした。

ただ、拗らせまくってるので「◯◯くんはブス干す」「ブスがファンサ貰えると思うな」「△△くんブスじゃね?wwww」とか書いてる情報垢や裏垢を見るようになった。(絶対にやらないほうがいいクソカス行動)当時バズってた「10キロ痩せて担当から初めてファンサもらった!」みたいなブログも読んだけれど、自分にとってはモチベというよりは自傷にしかならなかった。

 

初めて行った現場が大運動会だったのは功を奏した。1人参戦になってしまったので、大層ビビりながら会場に向かったものの、ジャニーズは大体皆ボールやらゴールやらを見ているので全然ヲタクのことを見ていない。ファンサがどうとかあんまりない。そして、ヲタクは皆ジャニーズを見ている。誰もヲタクのことを見ていない。こうして現場は平気だということを学ぶ。これ以降、現場用の服が買えるようになる。現場に着ていく服を考えるのは楽しかった。

 

ただ結局、ジャニーズの魔法も現場前以外は効力を発揮しなかった。相変わらず結構なペースで「自分はなんてブスなんだろう」「生きている価値がない死にたい」と思いながら家で泣いていた。

 

就活がうまくいっていなかったことも呪いを悪化させる要因となる。いろいろなところでESの添削やら面接の練習に参加するも、どうも本番の結果が芳しくなく、「所詮女なんて平成の世でも職場の花とかお嫁さん要因くらいにしか思われてないから、ブスだと採用されないんだ~」と真剣に考え始める。段々夜眠れなくなって完全に昼夜逆転。面接どころではなくなる。

 

気付けばブスの呪いは生活にかなりの影響をきたしていた。

というか完全にメンタルがやられていた。友人に勧められて、大学が提供していたカウンセリング窓口に何度もメールを送った。しかし、大体帰ってくる返事は「直接お会いしてお話しませんか?」である。ダメだ。私は絶対に他人からしたら「は?」と思うような内容を泣きながら話してしまう。泣きながら意味の分からない話をするブス、最悪だ…そう思い、結局一度もカウンセリングには行けなかった。(会社の福利厚生のカウンセリングサービスも同様の理由で利用できなかった)

 

こんな感じで就活はマジでだめだったが、NEWSのコンサートに行く予定があったので根性で無理矢理昼夜逆転を直したことが功を奏し、何とか就活を終了。手越さんとNEWSには今でも感謝しています。

 

こうして呪いの調子も一進一退しながらなんとか卒業にこぎつける。成人式の前撮り写真が嫌すぎて、こんなのもう一生見たくない、誰にも見せないでと泣きながら実家で暴れた前科があるものの、「卒業袴の写真は撮りなさい。お願い」と言われ袴のレンタルと写真を予約した。ブスに高い袴はもったいないと思い、低価格な袴をレンタルしたのは今も後悔している。友達と並んだ時の安っぽさがすごかった。高い袴着せてくれて写真メッチャ盛ってくれるとこ探せばよかった。

 

社会人、“若い女”の生活

そんなこんなで社会人になっておっさんの海のような会社で働くこととなる。若い男も若い女も少ないので楽といえば楽ではあったが、「顔どうこうより“若い女”という属性だけに価値が与えられてる扱いで気持ち悪いな~」と思う出来事が多々あった。ブスであっても若い女若い女なんだ…という気づきは新しかったが良いものではなかった。1年目の時研修で他の支社に行く途中、電車でまぁまぁな痴漢に遭うのだが、(ブスが痴漢に遭って犯人を警察に突き出すので遅れます…っていったら馬鹿にされるだろうな…)と思い、目的地まで耐えてしまった。今思えば犯罪者を野放しにせず突き出すなり通報するなりすべきだし、金ふんだくればよかった本当に。性犯罪はクソ。

 

学生時代よりもジャニーズにお金と時間を使えるようになり、大学時代よりは夜泣きも減った。ただ、ジャニーズが出ていてもブスいじりの発生しそうなバラエティは見れなかったし、いつもついてくる死にたさは消えなかった。もはや自分がブスなのかどうかが分からなくなっていたので、パパ活アプリやTinderに顔写真を出しまくるというクソハイリスク行動もした。パパ活アプリのおじさんに「ラウンジ嬢とかはむりだろうね(笑)」って言われた。自分の“若い女”は金にはならないんだと思った。

 

転機その2:給付金チャンス到来

そして時は流れ2020年、コロナである。自担のデビューにはしゃぎ散らかしていたのがウソのようにすべての楽しみが消え去り、働く意味がなくなった。働く意味がなくなったところで仕事も休みになった。家にいる時間が増えた。

 

鏡を見る。内カメを起動させる。自分の顔はやっぱり許せなかった。化粧をしている写真をみても変だなと思った。かといって整形するお金もなかった。ずっとそうだ。

 

しかしここで、奇跡が起きる。

特別定額給付金である。普通に収入減ったけど万年金欠の自分にとっては、まとまった金が手に入る機会はこれを逃したらもうない。ないに違いない。

これまでも調べてはきたけれど、本格的に整形に関する情報をあさる。やると決めたら一直線のヲタク根性で、友人から目元の整形に大成功した人を紹介してもらい、病院と執刀医を聞き出した。アプリでも口コミサイトでも調べに調べた。結局少し高かったけれど、最初に教えてもらった病院で同じ先生にやってもらうことを心に決めた。

 

給付金が振り込まれ次第速やかに整形する…するぞ…

 

給付金の振り込みを今か今かと待っていた。多分全国で上位100人に入れるくらい楽しみにしていた。

 

カウンセリングと実際の手術

振り込まれたその日に、決めていたクリニックのカウンセリングを予約した。狙っている医師(以下、顔を作る人なのでジャムおじさん)の出勤スケジュール把握もばっちりである。

 

ガラガラの電車に乗ってカウンセリングに行った。

眼瞼下垂で保険適用にならないかな~という淡い期待のもと、頭痛持ちであることや、肩こりがあること、アイプチをしていない日は症状が出やすいことを伝えた。

ジャムおじさんは、「上見て」「まっすぐ見て」など指示を出しながら、定規みたいな道具を使って私の顔をこねくり回した。

「う~ん、保険適用にはならないですね。埋没法の2点止めってかんじかなあ」あっさりとした回答だった。「どうしますか?最短だと今日の夜やれますけど…」びっくりした。今日できるんかい!めちゃくちゃ勇み足でやって来たのに腰が引けて1週間後に手術の予約を入れた。

 

嫌いだったけど、この顔もあと1週間か~と思い手術を待つ間毎日1枚写真を撮った。ドキドキしながら手術の同意書を書いて、書きあがった同意書を部屋の壁に貼って毎日眺めた。

 

こうしてついに手術の日を迎える。一番気に入っている柄シャツとサングラスにマスクでクリニックに向かう姿はかなり不審者だった。でも気にしない。今から整形するし。ちょっと怖かったけどわくわくした。

 

同意書を提出し、料金を支払い、改めて説明を受けてから指示にしたがって洗顔する。通された手術室は意外にも簡素なものだった。歯医者の診察台のちょっとしょぼいバージョンみたいな椅子に寝かされ、看護師さんから「どの子がいいですか?」と聞かれる。何の話だと思ったら、手術中に抱きしめる用のぬいぐるみを貸してくれた。うさちゃんのぬいぐるみにした。「じゃ今からやりますね~」とジャムおじさんが優しく語りかけてくる。笑気麻酔などのオプションはないクリニックだったので「注射しますよ~」と局所麻酔を打たれる。痛くはなかった。

 

麻酔の効きを確認し終わったジャムおじさんが「大丈夫そうなので今から縫います~」と声をかけてくる。瞼をひっくり返された状態で、「足元の方見ててください」と言われるのだが、まず手術用の照明がマジでまぶしい。目開けてるの自体がキツイ。そして局所麻酔なので縫われてる感覚も普通にあるし、なんなら目が見えてるので自分の瞼に刺された針から青い医療用の糸がびよ~んって伸びてるのも見える。びよ~ん。

 

ジャムおじさんが「ラインの確認してください。これで良ければこのラインで止めます」と手鏡を渡してくる。「あ、すみません、これだと左右差強めに出そうなので、こっち縫い直ししてもらえますか」という注文を付け、最初から縫い直ししてもらった。眩しさと自分の瞼から糸が伸びるシュールな光景に2回耐えてでも納得いくものにしたかった。

 

呪いが解けてから

こうしてあっさりと20年弱憧れてやまなかった線が瞼に刻まれた。

縫い直しのせいもあってかそれなりに腫れはあったが翌日から会社にも行った。術後2週間くらいはコンタクトができないのでメガネ生活である。定期的に経過観察でジャムおじさんに顔を見せに通ったが、経過は良好とのことだった。術後2週間で目立つ腫れは引いて、2ヶ月でほぼ完全に引いた。うさちゃんのぬいぐるみを渡してくれた看護師さんは「よかったですね!」と声をかけてくれた。

 

整形して生活が一変した。ブスの呪いが解けて私はやっと人間になった。

 

容姿のコンプレックスで夜一人で泣くことが無くなった。実際に整形する前は埋没以外にあれもこれも、渡韓してエラも削って…と考えていたが、これで完成でいいじゃん!となった。容姿のことで頭がいっぱいになることがなくなった。写真も撮れる。人に会いたい。嫌なことを言われたら言い返せる。なんだ、普通の生活ってこういうことなんだ。

 

本質的に容姿がどうかよりも、「ブスだから…」という思い込みによりメンタルを崩している点に問題があったのは自分でも気がついてはいた。メンタルの面から治ろうとしていろいろなことを試したけれど、結局物理的な修正によってしか私は救われなかった。

 

両親には整形のことを事前報告しなかった。完成した状態でいきなり両親に会ったので、なにかケチをつけられるんじゃないかと内心びくびくしていたが母はあっさり「ふーん、いいんじゃない?」と言った。皮肉にも、母が大好きで私が大嫌いだった整形番組と同じ展開になった。

 

まとめ

20年弱たくさん損してきたと思う。無駄に泣いたり、「ブスだから…」という発言や態度で周りの人に沢山迷惑や心配をかけてきたと思う。沢山の時間を損してきた。ただ、呪いが解けた今もこの呪いを解く方法は整形しかなかったと思う。だから、ちょっと前にワイドショーで整形が話題にされたときに目にした「そんなこと気にする必要ない」とか、「もっと大人になってからどうしても整形したかったらすればいい」とか、「そんなこと考えてないで勉強しろ」などは個人的にはもってのほかだと思う。

 

呪いにかかってしまうと、容姿の悩みは一時も頭を離れることがない。常に背後にぴったりとくっついてきて、じわじわ宿主を殺そうとしてくる。本人が整形を望み、本人(年齢によっては本人と保護者)が心に決めたことならば、外野が口を出すことでは絶対にない。テレビのネタなんかにしないでそっとしておいてくれとすら思う。こういう経緯を辿っているので未だに容姿いじりで笑いをとるバラエティは苦手だし、この苦手は克服する必要もないと思う。令和の世の中で笑いも少しずつ変わっていってくれたら嬉しい。誰かに呪いをかけないで欲しい。

 

美に絶対はない。結局決めるのは自分だ。自分が気に入るかどうかだ。周りは関係ない。誰から承認を得ようとも思わなくなった。私は今の私が気に入っている。とびぬけた美人ではないし、体積はやや大きめだが、すごく気に入っている。そのうち超イカした写真を撮って成人式と卒業式の写真の隣に並べたい。どれもまぁまぁいいいじゃん、と思えるようになるのが次の目標である。