Roll'em!

好きが多くて困ったな

幸せとは星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく家に花がある事かもしれない

大学時代にとても良くしてもらった先輩が結婚した。このようなご時世であるが、先輩はこぢんまりとしていながらもとても素敵な会場で結婚式を挙げた。私はそこに呼ばれていった。

 

いわゆるハイスペ同士の結婚であり、クソみたいな企業で月にリンゴ3つの給与を現物支給されている私は「なんで仕事も恋愛もうまくいっている人間に底辺生活の私が3万円も…」などと醜い嫉妬に駆られつつも、やはり大好きな先輩なので、招待状にはできるだけ綺麗な絵を添えて返し、できるだけ可愛いご祝儀袋を買って『私のご祝儀袋が1番可愛いご祝儀袋でありますように』と祈りながら大事に大事に3万円を包み、初めて親族以外の結婚式に参列したのだった。大切な日にせっかく呼ばれたのだから、その日先輩の視界に入るものに汚いものが一つもあってはならないと思い、ゾゾタウンで会場の色合いに合いそうなパーティードレスやアクセサリーも買った。しかし、前日までは非常に憂鬱で会場の近くに前泊する段階になっても『明日本当に人の結婚式に行くのか…』とホテルの床の見慣れない模様を首を傾げながら無言で眺め、らじらーを聴きながらビールを煽っていた。ラッシュのバスボムを入れた風呂に入り、このまま気を失って死ねたら良いのにと思った。


会場に着いてみると、思いのほか招待客は少なく、友人席は新郎新婦共に1テーブルのみだった。けれど、会場には先輩やその友人の手作りの品やイラストが飾られており、寂しいばかりかむしろ暖かく賑やかだった。友人席の知り合いは1人だけだったが、ここに呼ばれし先輩の友人はみんな善人だったので、寂しい思いや退屈な思いをすることはなかった。


未婚の若い女が名前を呼ばれた。私も呼ばれた。本来ならここでブーケトスというタイミングだが、チャペルのテラスから身を乗り出した先輩が、長い長いリボンをこちらに下ろした。どうやらくじ引きらしい。長いリボンをスタッフが受け取り、私たちの方にニコニコしながら配る。テラスから身を乗り出して「おーい」と呑気に手を振る姿は紛れもなく私の先輩であるが、普段化粧っけのない先輩が真っ白なドレスに身を包みしっかりお化粧をしているのはなんだか不思議な気分だった。可愛い。


私はピンク色のリボンをグッと握った。全員がリボンを手にして、鐘の音の合図でリボンを引いた。私のリボンは当たりだった。コロナ禍のブーケトスで私はブーケを手にしたのだった。


食いしん坊な先輩が選ぶ会場なのだからやはり料理は美味しく、とても満足して帰路についた。結婚式は思っていたよりも大分良いものだった。家までは遠かったが、同じ方面に帰る人とぽつぽつ会話をしたり、別れてからは披露宴の写真を見返したりしてあまり退屈せずに乗りなれない電車に揺られた。帰りに新宿へ寄って花瓶を買ってみた。私の家には花瓶がないのだ。大学の卒業式の時にもらった花束は酒の瓶に刺していたのだが、何がいけないのかあっという間に枯れてしまった。せっかく先輩の結婚式で花束をもらったのだから、綺麗に大切に飾りたいと思ったのだ。


家に帰ると早速花瓶に花をいけた。なんだか家が綺麗になった気がする。心なしか自担のアクリルスタンドの表情も柔らかではないか。

 


その夜、先輩に式や披露宴の写真と共に改めてお祝いのメッセージを送った。

「私はめろ太郎に幸せになってほしいから、めろ太郎が花束もらってくれて嬉しかったよ」と返ってきた。引き出物のバームクーヘンを食べながらそのメッセージを眺めた。これが噂に聞くバームクーヘンエンドかぁ。(?)

 


それから家に花のある暮らしが始まった。毎日水を変えて大切にしていたけれどそのうち花束は枯れた。カサカサになって、小さな花はポロポロと机の上に落ちて白い粉のようになった。どうやらドライフラワーには向かないらしい。悲しかったけれど、花は燃えるゴミなので悪くなった鶏肉と一緒にゴミに出した。


家から花がなくなった。寂しくなった。


やっぱり家に花があるのは良いなぁと思い、それから切らすことなく家に花を飾っている。もう少し花瓶を買ってみたいなと思うようになった。ほんの数ヶ月前までは思ってもいなかったことだ。花を買うなんて。花瓶を買うなんて。置く場所がないとか、なんだかんだ理由をつけて憧れながらも避けていたが、置いてしまえばなんとかなるもので今私の家のテーブルはしっかりとお花の置き場所になっている。

 


先輩は私に幸せになってほしいと言う。幸せとは何か分からないが、家に花があるのは良い。家での私は多分これまでよりちょっぴり幸せだ。閑也のハンガーも心なしか表情が柔らかいように思える。


なんでもやってみれば意外とどうにかなるのかもしれない。先輩が私に求める幸せが何で、私自身の幸せが何かは正直よく分からないがとりあえず今日も私は花の水を変えて、綺麗だなと思う。そしてそのうちまた新しく黄色だとか白だとか、そういう色の花を買う。そのうち何かが上手くいくようになるかもしれないし、ならなくても家に花があればちょっぴりマシだと思う。


そうこうしているうちにまた1人友人が結婚したらしいが、今日も私はアイドルのハンガーがある部屋で花を愛でる。おめでとー!とLINEを返しながら普段聴きもしねぇback numberを聴いた。

「火の顔」を観た話

※ネタバレてんこ盛り。原作未読観劇一回での感想です。

 

上手く行ってる家族ってなんだろうか、というのを昔からよく考えている。"上手く行っている"家族を見たことがないからだ。普通の、幸せな、上手く行っている家族のロールモデルが自分の周りにない。

 

この家族もそうだ。普通ではない。


普通の家庭のロールモデルがないまま、家族っぽい事をしている。とにかく家族の会話に中身がない。みんな父母娘息子の役をやってるだけ。ポーズとして会話し、ポーズとして共に食事をとる。ありふれていると言えばありふれているのだが、この家庭は取り返しのつかない崩壊を迎える。

 

母は一見オープンな性教育を行い、父は「風俗の女が殺されたんだ」という話題を繰り返す。リベラルというか性的な話題をタブーとしないポーズを取るのだが、それは子供たちの反発だけでなく、夫婦間にも影を落としている。


理解のある母、砕けた部分のある俗っぽい父の役を演じているものの、それは役でしかないばかりか、かなり上滑りした演技なのだ。


噛み合わない両親に対して、子供たちは結束していくが、その結束の根源が性的関係なのでどうしようも無い。弟のクルトが姉オルガに手コキされた事をきっかけに、もともと壊れていた家庭が本格的に壊れていく。そして理念や目的の共有ではなく手コキから始まった関係は脆いので、最終的に破綻する。クルトは姉の体を欲しているものの、その一方で「大人になりたくない」という意思をかなり強く抱いていることが随所で分かる。姉が世間の大人の言うような常識を説けば激しく反発するし、自分が生まれた時の記憶に激しくこだわりを持っている。

 

姉のオルガの彼氏、パウルが家に入ってくることによって、その歪さはだんだんと鮮明になっていく。

 

パウルはお調子者で後先考えない明るいノリの若者だ。


両親は直視できないでいるだけで、自分たちの子供がただの思春期・反抗期以上の何かであることに最初から気が付いていたように思える。父親は、自分の子供に対して距離を置きたがっている節があり、何かと母親に任せようとする。現実でもよくある話であり、家庭の気持ち悪いところあるあるだ。そんな父にとって、パウルの存在は非常に嬉しいものだっただろう。家族に1人男が増える。自分にとって"まとも"な男が。壊れた息子の代替品兼新たな友人がやってきたのだ。最初でこそ娘のボーイフレンドに対してフランクな父親、という役を演じるものの、父親はパウルばかりを気に入るようになる。当然家族は誰もいい気がしない。特にクルトは姉と性的な関係を結んでいることもあり、ある種の嫉妬心からパウルに対して強く反発する。


クルトは繰り返し、「僕は自分が生まれた時のことを覚えている」と言う。生まれ方の描写からしても、クルトは恐らくこの世界に出てくる事をギリギリまで拒み、母にしがみついていた。劇中、しばしば繰り返される音の一つに胎内音と思しきものがある。ゴーっとざわついた音と、母親の心音らしきものが聴こえてくることからも、クルトは母親の胎内に留まりたかった、戻りたいと考えていることが伺える。そのため、思春期を迎えてからは過剰なまでに大人になりたくない、大人の常識に染まらずにこのままでいたいと反抗する。


クルトは異常なまでに火に執着し、劇中度々マッチを擦って火を起こしては、フッと吹き消して床に捨てる。火を見つめる顔はどこか安らかで希望にすら満ちている。(すごくいい表情!手熱くないか心配した)火とクルトの関係はどこまでもエスカレートしていく。雀を燃やし、爆弾を作り、更には学校で教室に火をつけ顔に大きな火傷を負う。

 

そんなクルトは火傷した顔に薬を塗ってもらうことをきっかけとしてベッドの上で母に甘え、自らの体を触らせ、寄り掛かる。普段の反抗的な態度とは打って変わって子供のようになる。この時の恍惚とした目と甘えた声の演技がすごかった。センスだ。そしてその時、母は満更ではない表情を浮かべて息子を抱きしめる。ここにも一つの気持ち悪さがある。風俗の女が殺害された話ばかりする夫とはセックスレスであることが仄めかされている。息子を恋人のように扱いうっとりする母のソフトなバージョンはTwitterとかでもよく見るけど、普通に気持ち悪い。比企理恵さんの怪演もあってここの気持ち悪さは見事だった。


この息子は胎内回帰願望を抱いているけれど、母親は息子をある種性的なロマンスの代役にしている。お互いが相手のことを見ておらず、全く噛み合っていない。


家族とは言え、自己以外の人間は皆他人だ。例え自分の体からリリースされた生物であっても別の生命体なのであって想いを自動的に共有できるわけがない。恐らく母親は息子の考えていることなど何一つ分からなかっただろう。


母親は一つの幻想を持っている。自分の子供たちは、自分たちのためにメチャクチャに振る舞っているのではないか?と言うのだ。子供が問題を起こすことで夫婦の間に会話が生まれる。そのためにわざとこんな事をしているんじゃないかと。それで自分の顔に大火傷する人間がいるかよ目を覚ましてくれという感じだが、子供に対する◯◯かもしれない・◯◯してくれるに違いないという馬鹿げた幻想も家庭の気持ち悪いところあるあるだ。この作品は本当に気持ち悪いくらい家庭の欠陥への解像度が高い。そして、その気持ち悪さに自分も思い当たる節がある。


教室で火をつけたことでクルトは退学になり、いよいよ家庭は外の世界との接点を失う。同じ"思春期"の子供や、その子供を育てる他の家庭との交流は断たれ、外との接点は姉オルガの彼氏パウルのみだ。


火起こしをしたことのある人は分かると思うが、団扇の風や人の息を送り込めば酸素を得た火はだんだんと大きくなる。家の中で燻っていた火は、もう取り返しの付かないほどに燃えていく。


物語が進めば進むほど、セットの視覚的な効果が上手いなと感じた。セットがすごくいい。舞台右奥から客席下手側に向かってななめに伸びる通路を舞台の中央に配置し、それを挟むようにして上手奥にリビング、上手客席側にオルガの部屋、下手客席側にクルトの部屋、下手奥に両親の寝室が配置されている。舞台の奥が玄関であり、外から家に入ってくる人物はそこから現れる。つまり、玄関の真正面から他の空間にまっすぐ抜けていくように捌けることはできない構造で、入ってきた風は家の中でぐるぐると吹き回り、行き場を失う。意図的なものかはわからないが、象徴的だなと感じた。(ただし、クルトは舞台上手側手前から捌けるシーンがある。A〜C列くらいまでの一番上手側の人は大層ドキドキしたと思う)


火はいよいよ手のつけられないほどに燃え上がり、クルトは次々に放火を行う。あるときクルトは姉のオルガを伴い夜中に洋服の工場に忍び込み、クルトの作った爆弾で放火する。両親は息子が放火犯であることに勘付き、「明日警察に行こう」と語りかける。警察が、息子を守り、治してくれると思っているのだ。けれど、息子は直りはしない。クルトとオルガはその晩両親の寝込みを襲い、2人を撲殺する。


撲殺後、クルトとオルガは家に閉じこもって過ごす。クルトは異様なまでの落ち着きを見せ、お腹が減った、食料も尽きてしまったと訴えるオルガを「水でも飲めば?俺はそうしてる」と突っぱねる。大人になりたくないクルトにとって、生命の維持はもはや必要な事ではないのだろう。


しかしオルガはそうではない。弟のクルトを裏切り、外からやってきたパウルに助けを求める。クルトの反対を振り切ってパウルを家に入れるオルガ。パウルは、家に入るなりずっと閉めっぱなしか?などと家の空気が澱んでいることに触れる。そして異臭を放つ両親の死体を見つけるのだった。


両親の死について、クルトは「もともと腐っていた、今は寝ているだけだ」のように述べる。その通りなのだ。この家には元々大した中身などなく、関係は腐っていて、それが静かになっただけ。

 


閉めっぱなしでない、腐っていない、普通で、模範的で、幸せで、中身のある家族ってどんなものだろう。この人たちはどうすれば良かったんだろうか。もっとお互いに踏み込んだ対話をする必要があったと思うけれど、それが正解かは分からない。踏み込んだところでクルトのような人間が心を開くだろうか。

 


オルガはパウルと共に家を飛び出していく。彼女はなんだかんだ普通の大人になる側の人間で、同じく普通の大人になろうとしているパウルと一緒に生きていく事を選んだ。クルトは家と自らにガソリンをかけ、火を放つ。こうして、家族の物語は終わる。

 


クルトが「死んだ人間は冷たい。もう燃えてないから」と、繰り返すシーンがある。

生命力の象徴のように述べていた火は、小動物を焼き、自分の顔を焼き、物や建造物を焼き、最後には自分自身を焼き尽くした。焼き尽くされたクルトは当然、冷たくなり、もう燃えなくなったのだろう。クルトにとっての火は、何だったのだろうか。他者の体に宿る火を、自らが放った火で奪うことに対して、どう考えていたのだろうか。観終わってからずっと考えてるけれど分からない。


それくらい、クルトの狂気は正しく狂気として存在していた。台詞回し(抑揚など)はやや気になるところもあったけれど、この気迫や表情、目つきは紛れもなく北川拓実の実力と生まれ持った才能だと思った。技術的な部分がこれから伸びていくのが楽しみだ。


演出的な意図が汲みとれなかったものが2つある。


1つはクルトの部屋にあったヒトラーのポスター。時代設定などのことも考えたが、途中でスマホが登場したので現代だった。(現代だからこそ?)以前上演された際の劇評などではクルトがヘラクレイトスの思想に傾倒していることが書かれていたのだが、ヒトラーとクルトについてはよく分からなかった。そもそもが原作未読のため、元々あった描写なのかが分からない。読みます。


もう1つはマイクパフォーマンスのシーン。スタンドマイクであったり、手持ちであったり、とにかくマイクを使って叫ぶシーンの意味合いが理解しきれていない。最初は心の声、独白のようなものかと思ったけれど、普通に他の人にも聞こえてた。他の人の解釈を読んでみたい。

 

 

ところで私は北川拓実くんのビジュアルが大好きなので、イヤーッ!立ってるだけで綺麗!お姉さんとの身長差!!!助けてーっ!となった。複雑な年頃の男子、というのを視覚的にも伝える意図だったのか、しょっぱなからシャツの前開いてて腹筋とか見えたけど綺麗すぎるだろ…もっと丸いというか、がっしりしているイメージがずっとあったけど、すっかりスラっとした青年になっていて、見ていて緊張した。


終演後、深々とお辞儀をして顔を上げた瞬間いつもの北川拓実に戻ってニコニコしていたので最早怖かった。憑依型っぽいなと思ってたけど切り替えが凄すぎる。勝手に物凄く重たい役だし、気持ちが引っ張られすぎないか心配だなーとか思っていたけど全くの杞憂だった。あー可愛かった。


カーテンコールで何喋っていいか分からなくなり繰り出した一発ギャグ、体を上手側に向け、両手を地面と垂直にピンと伸ばして後ろに数を数えながら10回飛んで「バックテン!(バク転)」何…?さっきまであの表情で鬱々としながら爆弾作って放火しまくってた人間のやることじゃないだろ(褒めてる)あー可愛い。すごい。「一発ギャグやっていいすか?」に「この子こういう子?!」と客席に投げかけた納谷さんと一連の不思議な流れを暖かく見守ってくださっていたカンパニーの皆様。良い現場で育てられているのだなあと勝手ながら安心した。すごく難しい役どころだったけれど、良い環境で挑戦できたんだなぁと思う。


これから演技の仕事をしている姿ももっと見たい。まずは文豪少年!が控えているけれど、もっと色々なところに見つかって、舞台や映画で活躍してほしい。

 


人の成長は尊く美しい。けれどアイドルとヲタクは当たり前に他人同士であり、あんなことして欲しい、こんなふうに育って欲しいは劇中の母親に感じた気持ち悪さや自分自身が育っていく中で感じた気持ち悪さの根源でもある。


腐っていない家族や正しい人間関係が何かも分からないし、自分が生まれてきた理由もこの先の人生を進めていく意義も全く分かってないけれどしばらく芸術や好きなアイドルに寄り掛かって生きていこうと思う。私にとって自らの原動力になり得る火は何か、そしてその火を正しく使う方法は何か。重たい内容の舞台だったけれど、すごくエネルギッシュで観た後の興奮が冷めない。爆発力みたいなものがある意味美しくもあった。なぜか私は今すごく元気だ。ということは、「火の顔」は今の自分にとって必要なものだったし、とても良い舞台だったんだなと思う。


以上、北川拓実の初主演舞台、「火の顔」を観た話でした。

2020年に足りなかった心の栄養を埋める舞台、両国花錦闘士を観た話

両国花錦闘士を観ました!


結論

  • Twitterなどで評判を目にして気になっている!→今日のあなたのラッキーアイテムは両国花錦闘士のチケット!事情が許すのであれば今すぐチケットを押さえましょう!

 

超〜良かった。Twitterでレポ見て「これ多分自分の好きなやつだ」という直感のままチケットの取り方調べてチケット確保した自分を褒めたい。観終わってすぐ、明治座の前でクレカ出して次に行ける公演のチケットを買ってしまった。(危ないよ)それくらい良かったのだ。

 


2020年、楽しみにしてたことの8割はどこかに吹き飛んで行ったのに、仕事は無くならない。生活は無くならない。生活から遠いところの世界に、輝きに触れるために働いているのに。配信ライブはあれど、数少ないリアル現場もあれど、何かが足りない。欲しいものは全部足りないのに、欲しくないものは全部過多。


そんな2020年の締めくくりに全ての厄を払い、エンターテイメントを好きだという気持ちを包み込み、不足していた心の栄養を全て補ってくれる強烈な舞台があるのだ。

…観たくない????観て欲しい。


諸般の事情で急遽主役に原嘉孝が抜擢されたことは知っていた。こりゃすごい仕事が来た、頑張れ…上手くいきますように…1人のジャニヲタとして陰ながら応援していた。


彼のことは主にKAT-TUN関連のバックで見ていて、元気で、筋肉がすごくて、面白島テレビクリエイターで、舞台関連のヲタクから漏れ聞こえてくる評判が良い、しかし中々に難しい状況に置かれているという印象だった。


8月8日のドームで喜ぶ側だった自分が彼に対して軽々しく「頑張ってほしい」とか「おめでとう」とか「大きなチャンスだ」とか言うのは憚られて、代役でこの舞台の主演を務める事になったと知った時も特に言及はしなかった。


ただ、それが些か不謹慎だとは感じつつも、これまでの彼について知っていることを思い返しながら(このバカデカチャンスを掴み取り筋肉のシンデレラボーイになっていくであろう原嘉孝、アツいぜ…)と思っていた。私は体のデカい男でテンションが上がるヲタクなので、原嘉孝の筋肉はこっそり観察してきているのだ。演目そのものも面白そうである。いいな、面白い舞台。と言いつつ、私はこの時点ではチケットを取るつもりは無かった。

 

しかし、運命の日はやってくる。TLに、キレのいい感想が次々と流れてくる。その時の興奮具合と言ったら、桃太郎の婆ちゃんか私かと言ったところだ。


もう、決定的に気になるワードがあった。


「近年演劇の神に愛され続けている男」

 

私は舞台が好きで、そこに上がれる人に対して人一倍憧れがある。そんな私に取ってこれ以上に魅力的な感想はなかった。


観てやるよ、演劇の神に愛されてる男って奴を…

 

秒速でチケットを購入した。ひとまず様子見のA席。

 

Twitter上で日に日に加熱していく感想を見ながら、会社で嫌なことがあっても(ここを乗り切れば両国花錦闘士…)と心の中で唱え、どうにか迎えた観劇日。このプロセス全てが"現場"で、ものすごくワクワクしていた。

 


劇場で座席に座り、ドキドキしながら開演を待つ。ついに幕が上がったその時、完全に飲まれてしまった。

 

音、光、熱、色、舞台の上にあったもの全てが私が欲しくて欲しくて堪らなかったものだ。

 

デーモン閣下の歌がうますぎる。照明がいい。演者の熱気。驚くほどの肌色。これが相撲のミュージカルか…楽しい。楽しいぞ!すごい楽しい!いきなり心の栄養が全補給されてびっくりして泣いてしまった。人は本当に欲しかったものを目の前に差し出されると泣くらしい。

 


デブが嫌いで自分も力士とバレたくない、原嘉孝演じる昇龍はなんだかちょっと尖った奴だ。何が彼をそうさせるのか、最初はよくわからない。ライバルのあんこ型力士大鶴佐助演じる雪乃童はいい奴そうだけど、垢抜けず間抜けな感じが否めない。


本当は野球雑誌を担当したかったのに、相撲なんて興味ない!と駄々こねる雑誌記者の橋谷の視点を借りながら見進めるうちに、どんどん(知らなかっただけで相撲ってめちゃくちゃ面白いのでは…?)という気になってくる。これには自分でも驚いた。というのも、橋谷の行動は今まで興味がなかったジャンルに抵抗しながらもどハマりしていくヲタクそのものなのだ。

そしてパピーズ事務所の女社長、りょう演じる渡部桜子の強烈さ。キャラクターの濃さ、ポップさがとにかく楽しい。そしてそのキャラクターを彩る音楽の豊富さ。桜子のテーマは恐らく"あの曲"のオマージュで、それもすごく面白い。

 

ストーリーのテンポもよく、どんどん場面が移り変わっても違和感がない。これは照明の使い方が上手いなと思った。土俵を表現する時、実際に土俵のセットを使うシーンもあるが、スポットライトの描く円で表現するシーンも多い。土俵一つとっても表現が多彩だ。これはドラマではなかなか味わえない舞台ならではの醍醐味だ。


1幕が終わる頃にはすっかりのめり込んでいた。2幕では、明らかに客席の反応が良くなったのが印象的だった。みんな、久々に浴びた強烈なエンターテイメントに順応できてなかったんだと思う。手拍子や思わず漏れる笑い声、取り組みを見守る空気の一体感。会場のボルテージが上がっているのを感じる。いや〜現場超楽しい。


そして迎えるラストシーン。

 

私は原嘉孝を推している全ての人間が、気が狂いそうなほど羨ましかった。

 

自分の好きな男が、あんな表情で、あんなにもギラギラしたオーラを振りまきながら、あの台詞を言う、そんな幸せがこの世にあるのかと、心底羨ましかった。そして、昇龍のセリフであると分かってはいながらも、どうしても原嘉孝本人と重ねてしまい、そうさせる説得力に痺れた。目がキラキラしている。あまりにもまっすぐで、嘘がないように見える。これが、演劇の神に愛されているということか。

 

見られることで生きていく人間として、あまりにも強いと思った。


昇龍は劇中で何度か橋谷に「お前が美しいと思うものはなんだ?」と問いかける。

昇龍が思う美しさ、そして昇龍が相撲を取る理由、これがあまりにも私の求める美しさの答えで、私がエンターテイメントの中に見たい物は間違いじゃないんだと思った。(だからこそ、昇龍と演じている原嘉孝自身を重ねてしまう)

 


三度の飯のほかにエンターテイメントがないと飢え死ぬ者として、桜子の「私の欲望は全ての女性の欲望を代弁する」「私のプロデュースした男たちが売れるのは、私の欲望が正しいから」というような台詞は最高だった。美しい男が好き。それは時として非難され、バカにされ、だから彼氏ができないとかどうのこうの言われるが、それで良いのだ。


美しい男が好き。デカい太腿とかが好き。綺麗なものが好き。楽しいことが好き。明るい音楽や眩しい照明、知らない人同士がまとまっていく拍手、観るものと見られる者が作る空間。これらは、自分が生きていくために必要なもので、決して不要不急なんかじゃないんだと、くだらない物なんかじゃないんだと確認できた。


空洞だった2020年の締めくくりに、こんな良いものが見れるなんて思ってなかった。


カーテンコールで、晴れ晴れとした表情をしている原嘉孝を見て号泣した。ああ、羨ましい。舞台の上であんな顔を出来ることが羨ましい。そして、そんな素敵な男を予め「好き」という状態でこの舞台を見る人が羨ましい。


「武器は磨いた裸だけ」


主題歌Naked men見ろ、裸の俺たちを!に歌われていることは、役者にも言えることだなと勝手に感じ入った。主題歌マジで良い。なんとびっくりApple Musicにある。‎デーモン閣下の"Naked Men 見ろ、裸の俺たちを!"をApple Musicで「裸の祭り」「裸でおしゃれ」「実れ五穀よ」…2020年一番良い歌間違いなし。(「めろ太郎さんって五穀豊穣とか、ボッティチェリの春みたいな男が好きですよね」と言われて以来、五穀豊穣的ワードに弱い)

 


相撲って、祭りで、神事で、エンターテイメントですげー!日本人のDNAに刻まれし"最高"の概念!万歳!

 


そんな超最高エンターテイメント、両国花錦闘士、なんとまだチケットがあります。気になる人は是非。後悔はさせません。(とは言え、誰もが気軽に観劇出来る世の中でないのが憎い)

 

私は開演即、様子見などという言い訳をしてA席を取ったことを後悔し出来るだけ近くでこの熱と煌めきを浴びたくなったので退場即次入れる日のS席を買いました。もうクセになってやがる。知る前の自分に戻れない。気になった舞台のチケットが買えて、もう一回観たいと思った時に買えることは稀なので幸運。面白かった!と興奮している時の自分がやっぱり一番好きだ。このために生きてきたし、これからもそうやって生きて行くと思う。とにかく、次の観劇が楽しみだ。これで少しはまた人生頑張れる。


というわけで、両国花錦闘士がめちゃくちゃ良かったという話でした。ごっつぁんです。

 

給付金で顔を買って呪いを解いた話

特別定額給付金の10万円で新しい顔を買い、コンプレックスの呪いを解きました!!!ヤッター!!!埋没法万歳!!!

 

念のため先に述べておくと、一重がダメで二重が至高!一重の者は皆整形すべし!という話ではありません。美しさに絶対はありません。私が「マジの美のイデアじゃん…」と思っている人に対しても、「苦手な顔だわ」とか「〇〇の方がかっこいいが?」という人は世の中に確かに存在する。

 

結局自分の容姿は、自分が気に入るか・これがありのままの自分であるとして受け入れられるかだと思う。私はどっちも無理で、長年人生マジツラ激病みになってたので整形しました。

 

整形してどうだったか単刀直入に言うと、

  • もっと早くやったらよかった
  • 悩んで泣いてた時間全部無駄だった
  • 精神の不調8割改善された
  • 頭痛、眼痛良くなった気がする
  • 容姿のコンプレックスが泣くほど辛い人、とりあえずカウンセリングだけでも行ってみると良いよ!

という訳で、整形に至った経緯や実際に整形するにあたってどういうステップを踏んだか、そして実際やってみてどうだったかを長々まとめてみようと思います。上に書いてあることが大体全部なので長文自分語りはNO.という方はここで終わってください。

 

いかにして人は私が「ブス」の呪いにかかりどのように苦しんだかを記録する事で、呪いにかかった人には「気にしすぎだよ」「整形までする必要ないでしょ」なんて言葉は効かないなというのを少し分かって欲しい。ワイドショーなどに端を発する整形議論はあまりにも上滑りしていると思うので。

 

この文章では「ブス」の呪いで精神がやられていったことを事細かに振り返るため敢えて「ブス」というワードがたびたび登場します。現在進行形で辛い思いをしている方は自衛してください。

 

目次

 

「ブス」という呪い

小学生、呪いにかかる

親族にはそれなりに可愛がられてきたと思う。しかし、小学校に上がる頃には自分はブスなのでは?という疑念が生まれていた。モー娘。の誰にも似てないし、親族が「△△さんのところの◯◯ちゃんは美人さんねぇ」という◯◯ちゃんは明らかに自分と造形が違う。

 

極め付けは、四年生の頃にクラスの比較的仲の良かったAちゃんに言われた「めろ太郎ちゃん、ウチらとちょっとタイプ違うよね笑 写真とかで並ぶとさ」という旨の発言だった。

その子の家のお爺さんは写真が趣味で、公園で自分の孫と遊ぶ私たちを撮ってその写真をくれることがあった。その日貰った写真を見ながらの一言に、意地悪な気持ちがあったかどうかは分からない。ただ、その時疑念は確信に変わった。

 

「私って、ブスなんだ!やっぱり!」

 

ガーン…

途端に手に持っている写真が小汚いものに思えてきて、家に帰るまでの途中にあるスーパーのゴミ箱に捨てた。頭が真っ白だった。この日から私は「ブス」という言葉の呪いにかかる。

 

私の母は当時、当時流行っていた(?)整形番組が大好きだった。この番組は容姿にコンプレックスのある人を集め、「この人は今まで容姿のせいでこんなひどい目にあってきた!」という人生振り返りVTRを流し、整形をプロデュースし、整形後の姿を褒め称えるという内容だ。整形した人は涙を流しながら喜んで、スタジオにいる芸能人も「これから幸せになれるね」なんて言葉をかけていた。母は「綺麗になって良かったわね~」やら、「これは流石に被害妄想じゃない?嫌ね~性格まで歪んじゃって」などと言いながら視聴していた。ひでぇな。

 

この英才教育によりブスは性格が歪む、ブスは幸せになれない、ブスはみんなに嫌われる、そして整形すればみんなに祝福される…そう思っていたので、自分がブスだと知った瞬間の衝撃は凄まじかった。

 

暴れん坊将軍タイプのクソガキだった私は「身の程を弁えねば」と思い、徐々に自分に自信を持つことがなくなった。なんとなくクラスの女子と遊ぶのが億劫になった。ゲームキューブでクラスの男子と遊ぶことも少なくなった。今振り返れば男女で遊ぶには絶妙な年齢に差し掛かり始めたのも大きな要因だと思うが、とにかく激闘忍者大戦で遊ぶことはなくなった。

 

呪いは認知がマジで歪む

中学にあがると、部活はそれなりに楽しくやっていたもののクラスでは2mくらい宙に浮いていた。今思えば明らかに外見よりも酷い中二病だった点に問題があるのだが、自己認識する原因がブス一点だった。

 

そしてこの中学は驚く程にギスギスした学校だったので、"イケてる層"から標的にされた"イケてない層"の子はひどいと故意に転ばされて前歯を折ったりしていた。今思うと犯罪もいいとこである。こんなの加害する側が明らかに悪いのだが、私はこの学校でブスが生きていくことの厳しさを過剰に学習する。

呪いはあっという間に進行した。認知がグニャグニャに歪み、この頃から何かうまくいかないと全て自らのブスのせいにするようになる。あまりのグニャグニャ加減にダリの描いた絵も驚愕である。

 

高校では中学の人がほとんどいないところに進学し、優しい人間に囲まれていたので基本かなり楽しく暮らした。

ただ、彼氏ができることはなく喪女板のまとめを見るようになる。喪女板は予言の書のように思えた。あと、「美人は金持ちと結婚して、美男美女の子供を産んで、そいつらは潤沢な教育資金のもと良い教育を受けてそのまま大学まですっと行くんだな~」とぼんやり考えてちょっと悲しくなった(これはちょっと当たってると思う)。それ以外は全部楽しかった。当時大好きだったZipper系の服を着てメイクもはじめた。漠然と私も二重だったらもう少しマシなのではないかと思うようになった。家では鏡の前で毎日1時間くらい顔のマッサージをしていた。二重の跡付けをしたかった。跡は付かなかった。

 

楽しかったので毎日遊びまくって授業中にポケモンしてたら普通に勉強ついていけなくなって落ちこぼれた。これは明らかに勉強しなかったのが悪いんだけど、「やっぱりブスだから人生上手くいかないんだ」と考え始める。いよいよヤベー。

 

大学生活はマジの鬼門

「美人」と「それ以外」

大学生になると、美人とそれ以外の扱いは雲泥の差になる。一般的に大学にはミスコンなんてものもあり、良い成績をおさめると将来は明るく照らされる。悲しいかな社会の縮図だ。美人は金をもらえるし、その後の将来も約束されている…幸い(?)通っていた大学のミスコンは全く盛り上がっていなかったが、SNSなどで高校の同級生がミスコンで活躍してるのを見かけると凹んだ。やっぱ住む世界、違うよね~…

 

親元を離れ、毎日アイプチをするようになった。アイプチは良い魔法だった。

ただし、魔法で変身しても大学で一番最初に属したコミュニティは酷かった。そこで「美人」以外が生き残るには、ウェイ系の男と寝まくって「良い女」認定をうけるか、とにかく自分をネタにして「女芸人」になるか、「盛り上げ役」としてコールでガバガバ酒を飲むしかなかった。魔法を使っても「美人」にはなり切れなかった私は女芸人として生きていく事にした。

 

なんとか耐えたかったが、ある時女芸人キャラとして活躍していた先輩に不幸な事故が起こる。詳しい意言及は避けるが、属するコミュニティ内、ひいては世の中では女は「美人」として扱われなかったら最悪死ぬんだと思うような最悪の出来事だった。私はそのコミュニティを抜けて部活に専念した。

 

部活は運動系で、汗でアイプチは取れるし時に合宿などでスッピンを晒す機会もあった。けれど活動自体がすごく楽しかったし、過剰なブスいじりなどもなかったので安心できる場所だった。そもそも、外見よりも根性と体力がモノを言う世界だった。

 

「ブスだから」を口にするとろくなことがない

しかし、身に染み付いた癖で誰も求めてないのにブスネタで場を盛り上げようとしてしまったり、ふとした瞬間に「私ブスだからさ~」が口をついて出たりする。内心「そんなことないよ」待ちの一番めんどくさい奴である。しかも「そんなことないよ」と言われると一瞬安心するものの、その直後には「絶対私のこと可愛くないと思ってるくせに…」と思っており救いようがなかった。心の底で誰も信用していないのである。

 

自分に自信がないとやばい男が寄ってくる。どうしようもなく捻くれて他人の「可愛い」「綺麗」が信用できないくせに、やっぱり言われたい。このワードを巧みに使って擦り寄ってくる人と付き合う事になる。初めて彼氏ができて嬉しかったけれど、付き合い始めると私が自分の思い通りにならないとすぐに怒り出す人だった。お金も時間も随分損した。成績も下がった。けれど、「ブスの私と付き合ってくれてるんだからこれくらいは我慢すべきなのかな…」と思ってしまっていた。どうにか周りの手を借りて別れる事に成功するものの、かなりのダメージを受け、「私のこと好きとか可愛いって言う人はイカれたモラハラ男だけなんだ…」と思い込むようになる。

 

妖怪人間の生活

ある日、どうしても気の合わない子が、私と一緒に映った写真を勝手にTwitterやインスタやFacebookに上げていることを知った。写真自体が苦手だったし、なんのことわりもなく知らないところで自分の写真が自分の知らない人に向かって大公開されていると知り憤慨した。「あんただってブスのくせに、よりブスな私と一緒の写真は安心ってことか~?!」と思いハッとした。いつの間にか、「ブス」という言葉は私が他人に文句を言う時に真っ先に出てくる言葉になっていた。私は自分にかかった呪いを人に向けるようになっていた。

 

最悪だと思った。私は最早、意地悪ブスの呪い女である。

 

この辺りからかなり拗らせてしまい、気がつくとまともに服が買えなくなっていた。高校生の頃はあんなに服が好きだったのに、「ブスが何着たって無駄」「ブス安いもの着てるとみすぼらしい」「高い服着たって滑稽」と自分への悪口が無限に湧く。今日こそ服を買うからなと思って出かけるものの、何度もパルコのトイレに駆け込んで泣いた。店員さんに話しかけられてその場で突然「すみません」と言いながら泣いたこともある。家で一人でいるときも突然涙が止まらなくなる。そして、整形垢や美容垢を狂ったように閲覧して極端すぎる思想に触れ、より一層自分に追い討ちをかけるようになる。この時期は正直、家族共用PCでREBORNのメル画集めてた時よりヤバイ思い出が沢山ある。日々、早く人間になりたいなぁと思いながら暮らしていた。

 

転機その1:ジャニーズにハマる

日中楽しく活動していても夜にはヤバいくらい病み散らかしていたある日、突然ジャニーズにハマる。友人からHey!Say!JUMPのコンサートDVDを見せてもらい、トんだ。9人もキラキラした人がいて、黙っているだけでも五千兆円くらいの価値が生まれそうなのに歌って踊って微笑みかけてくれる映像を見て脳がスパークした。当時ルッキズムの極みにいた私からは「顔がいい…」以外の褒め言葉が出なかった。語彙力がなさすぎる。Hey!Say!JUMPはビジュアル以外にも素晴らしいところがたくさんあるグループです。

 

迷いに迷った挙句ファンクラブに入会した。どうしてもHey!Say!JUMPが見たい…けれどキラキラフワフワ量産型の女の子に混じった時自分は殺されないか心配だった。ブスに命の安寧はないのである。中学時代の怖い女がジャニヲタだったので、ジャニーズを好きな人間全てが怖かった。こうしてビビりきった結果、DEAR.の申し込みを見送る。今思うと「皆JUMP見ててお前のことは誰も見ない!申し込んどけ!!」という感じである。Hey!Say!JUNPを見に行くために、どうにか身なりを整えようと考え、調子のいい日に化粧品を買ったり、美容室に行ったり、通販で服を買う練習をしたりした。

ただ、拗らせまくってるので「◯◯くんはブス干す」「ブスがファンサ貰えると思うな」「△△くんブスじゃね?wwww」とか書いてる情報垢や裏垢を見るようになった。(絶対にやらないほうがいいクソカス行動)当時バズってた「10キロ痩せて担当から初めてファンサもらった!」みたいなブログも読んだけれど、自分にとってはモチベというよりは自傷にしかならなかった。

 

初めて行った現場が大運動会だったのは功を奏した。1人参戦になってしまったので、大層ビビりながら会場に向かったものの、ジャニーズは大体皆ボールやらゴールやらを見ているので全然ヲタクのことを見ていない。ファンサがどうとかあんまりない。そして、ヲタクは皆ジャニーズを見ている。誰もヲタクのことを見ていない。こうして現場は平気だということを学ぶ。これ以降、現場用の服が買えるようになる。現場に着ていく服を考えるのは楽しかった。

 

ただ結局、ジャニーズの魔法も現場前以外は効力を発揮しなかった。相変わらず結構なペースで「自分はなんてブスなんだろう」「生きている価値がない死にたい」と思いながら家で泣いていた。

 

就活がうまくいっていなかったことも呪いを悪化させる要因となる。いろいろなところでESの添削やら面接の練習に参加するも、どうも本番の結果が芳しくなく、「所詮女なんて平成の世でも職場の花とかお嫁さん要因くらいにしか思われてないから、ブスだと採用されないんだ~」と真剣に考え始める。段々夜眠れなくなって完全に昼夜逆転。面接どころではなくなる。

 

気付けばブスの呪いは生活にかなりの影響をきたしていた。

というか完全にメンタルがやられていた。友人に勧められて、大学が提供していたカウンセリング窓口に何度もメールを送った。しかし、大体帰ってくる返事は「直接お会いしてお話しませんか?」である。ダメだ。私は絶対に他人からしたら「は?」と思うような内容を泣きながら話してしまう。泣きながら意味の分からない話をするブス、最悪だ…そう思い、結局一度もカウンセリングには行けなかった。(会社の福利厚生のカウンセリングサービスも同様の理由で利用できなかった)

 

こんな感じで就活はマジでだめだったが、NEWSのコンサートに行く予定があったので根性で無理矢理昼夜逆転を直したことが功を奏し、何とか就活を終了。手越さんとNEWSには今でも感謝しています。

 

こうして呪いの調子も一進一退しながらなんとか卒業にこぎつける。成人式の前撮り写真が嫌すぎて、こんなのもう一生見たくない、誰にも見せないでと泣きながら実家で暴れた前科があるものの、「卒業袴の写真は撮りなさい。お願い」と言われ袴のレンタルと写真を予約した。ブスに高い袴はもったいないと思い、低価格な袴をレンタルしたのは今も後悔している。友達と並んだ時の安っぽさがすごかった。高い袴着せてくれて写真メッチャ盛ってくれるとこ探せばよかった。

 

社会人、“若い女”の生活

そんなこんなで社会人になっておっさんの海のような会社で働くこととなる。若い男も若い女も少ないので楽といえば楽ではあったが、「顔どうこうより“若い女”という属性だけに価値が与えられてる扱いで気持ち悪いな~」と思う出来事が多々あった。ブスであっても若い女若い女なんだ…という気づきは新しかったが良いものではなかった。1年目の時研修で他の支社に行く途中、電車でまぁまぁな痴漢に遭うのだが、(ブスが痴漢に遭って犯人を警察に突き出すので遅れます…っていったら馬鹿にされるだろうな…)と思い、目的地まで耐えてしまった。今思えば犯罪者を野放しにせず突き出すなり通報するなりすべきだし、金ふんだくればよかった本当に。性犯罪はクソ。

 

学生時代よりもジャニーズにお金と時間を使えるようになり、大学時代よりは夜泣きも減った。ただ、ジャニーズが出ていてもブスいじりの発生しそうなバラエティは見れなかったし、いつもついてくる死にたさは消えなかった。もはや自分がブスなのかどうかが分からなくなっていたので、パパ活アプリやTinderに顔写真を出しまくるというクソハイリスク行動もした。パパ活アプリのおじさんに「ラウンジ嬢とかはむりだろうね(笑)」って言われた。自分の“若い女”は金にはならないんだと思った。

 

転機その2:給付金チャンス到来

そして時は流れ2020年、コロナである。自担のデビューにはしゃぎ散らかしていたのがウソのようにすべての楽しみが消え去り、働く意味がなくなった。働く意味がなくなったところで仕事も休みになった。家にいる時間が増えた。

 

鏡を見る。内カメを起動させる。自分の顔はやっぱり許せなかった。化粧をしている写真をみても変だなと思った。かといって整形するお金もなかった。ずっとそうだ。

 

しかしここで、奇跡が起きる。

特別定額給付金である。普通に収入減ったけど万年金欠の自分にとっては、まとまった金が手に入る機会はこれを逃したらもうない。ないに違いない。

これまでも調べてはきたけれど、本格的に整形に関する情報をあさる。やると決めたら一直線のヲタク根性で、友人から目元の整形に大成功した人を紹介してもらい、病院と執刀医を聞き出した。アプリでも口コミサイトでも調べに調べた。結局少し高かったけれど、最初に教えてもらった病院で同じ先生にやってもらうことを心に決めた。

 

給付金が振り込まれ次第速やかに整形する…するぞ…

 

給付金の振り込みを今か今かと待っていた。多分全国で上位100人に入れるくらい楽しみにしていた。

 

カウンセリングと実際の手術

振り込まれたその日に、決めていたクリニックのカウンセリングを予約した。狙っている医師(以下、顔を作る人なのでジャムおじさん)の出勤スケジュール把握もばっちりである。

 

ガラガラの電車に乗ってカウンセリングに行った。

眼瞼下垂で保険適用にならないかな~という淡い期待のもと、頭痛持ちであることや、肩こりがあること、アイプチをしていない日は症状が出やすいことを伝えた。

ジャムおじさんは、「上見て」「まっすぐ見て」など指示を出しながら、定規みたいな道具を使って私の顔をこねくり回した。

「う~ん、保険適用にはならないですね。埋没法の2点止めってかんじかなあ」あっさりとした回答だった。「どうしますか?最短だと今日の夜やれますけど…」びっくりした。今日できるんかい!めちゃくちゃ勇み足でやって来たのに腰が引けて1週間後に手術の予約を入れた。

 

嫌いだったけど、この顔もあと1週間か~と思い手術を待つ間毎日1枚写真を撮った。ドキドキしながら手術の同意書を書いて、書きあがった同意書を部屋の壁に貼って毎日眺めた。

 

こうしてついに手術の日を迎える。一番気に入っている柄シャツとサングラスにマスクでクリニックに向かう姿はかなり不審者だった。でも気にしない。今から整形するし。ちょっと怖かったけどわくわくした。

 

同意書を提出し、料金を支払い、改めて説明を受けてから指示にしたがって洗顔する。通された手術室は意外にも簡素なものだった。歯医者の診察台のちょっとしょぼいバージョンみたいな椅子に寝かされ、看護師さんから「どの子がいいですか?」と聞かれる。何の話だと思ったら、手術中に抱きしめる用のぬいぐるみを貸してくれた。うさちゃんのぬいぐるみにした。「じゃ今からやりますね~」とジャムおじさんが優しく語りかけてくる。笑気麻酔などのオプションはないクリニックだったので「注射しますよ~」と局所麻酔を打たれる。痛くはなかった。

 

麻酔の効きを確認し終わったジャムおじさんが「大丈夫そうなので今から縫います~」と声をかけてくる。瞼をひっくり返された状態で、「足元の方見ててください」と言われるのだが、まず手術用の照明がマジでまぶしい。目開けてるの自体がキツイ。そして局所麻酔なので縫われてる感覚も普通にあるし、なんなら目が見えてるので自分の瞼に刺された針から青い医療用の糸がびよ~んって伸びてるのも見える。びよ~ん。

 

ジャムおじさんが「ラインの確認してください。これで良ければこのラインで止めます」と手鏡を渡してくる。「あ、すみません、これだと左右差強めに出そうなので、こっち縫い直ししてもらえますか」という注文を付け、最初から縫い直ししてもらった。眩しさと自分の瞼から糸が伸びるシュールな光景に2回耐えてでも納得いくものにしたかった。

 

呪いが解けてから

こうしてあっさりと20年弱憧れてやまなかった線が瞼に刻まれた。

縫い直しのせいもあってかそれなりに腫れはあったが翌日から会社にも行った。術後2週間くらいはコンタクトができないのでメガネ生活である。定期的に経過観察でジャムおじさんに顔を見せに通ったが、経過は良好とのことだった。術後2週間で目立つ腫れは引いて、2ヶ月でほぼ完全に引いた。うさちゃんのぬいぐるみを渡してくれた看護師さんは「よかったですね!」と声をかけてくれた。

 

整形して生活が一変した。ブスの呪いが解けて私はやっと人間になった。

 

容姿のコンプレックスで夜一人で泣くことが無くなった。実際に整形する前は埋没以外にあれもこれも、渡韓してエラも削って…と考えていたが、これで完成でいいじゃん!となった。容姿のことで頭がいっぱいになることがなくなった。写真も撮れる。人に会いたい。嫌なことを言われたら言い返せる。なんだ、普通の生活ってこういうことなんだ。

 

本質的に容姿がどうかよりも、「ブスだから…」という思い込みによりメンタルを崩している点に問題があったのは自分でも気がついてはいた。メンタルの面から治ろうとしていろいろなことを試したけれど、結局物理的な修正によってしか私は救われなかった。

 

両親には整形のことを事前報告しなかった。完成した状態でいきなり両親に会ったので、なにかケチをつけられるんじゃないかと内心びくびくしていたが母はあっさり「ふーん、いいんじゃない?」と言った。皮肉にも、母が大好きで私が大嫌いだった整形番組と同じ展開になった。

 

まとめ

20年弱たくさん損してきたと思う。無駄に泣いたり、「ブスだから…」という発言や態度で周りの人に沢山迷惑や心配をかけてきたと思う。沢山の時間を損してきた。ただ、呪いが解けた今もこの呪いを解く方法は整形しかなかったと思う。だから、ちょっと前にワイドショーで整形が話題にされたときに目にした「そんなこと気にする必要ない」とか、「もっと大人になってからどうしても整形したかったらすればいい」とか、「そんなこと考えてないで勉強しろ」などは個人的にはもってのほかだと思う。

 

呪いにかかってしまうと、容姿の悩みは一時も頭を離れることがない。常に背後にぴったりとくっついてきて、じわじわ宿主を殺そうとしてくる。本人が整形を望み、本人(年齢によっては本人と保護者)が心に決めたことならば、外野が口を出すことでは絶対にない。テレビのネタなんかにしないでそっとしておいてくれとすら思う。こういう経緯を辿っているので未だに容姿いじりで笑いをとるバラエティは苦手だし、この苦手は克服する必要もないと思う。令和の世の中で笑いも少しずつ変わっていってくれたら嬉しい。誰かに呪いをかけないで欲しい。

 

美に絶対はない。結局決めるのは自分だ。自分が気に入るかどうかだ。周りは関係ない。誰から承認を得ようとも思わなくなった。私は今の私が気に入っている。とびぬけた美人ではないし、体積はやや大きめだが、すごく気に入っている。そのうち超イカした写真を撮って成人式と卒業式の写真の隣に並べたい。どれもまぁまぁいいいじゃん、と思えるようになるのが次の目標である。

「〜のために」という言葉

このところメディアでは、毎日のように「危険を顧みず、最前線で戦う医療関係者の方や、私たちの生活のために今も働いてくれているエッセンシャルワーカーの方々に感謝を」といったフレーズが流れている。

 

正直言ってめちゃくちゃ違和感があるし、私はこの言い回しが嫌いだ。

 

この状況で望んで最前線に出ている人ってどれだけいるのだろうか。ていうか、「危険を顧みず」な訳ないだろ。そしてそれらの人々が働いているのは、「私たちのため」なのか?

 

医療関係者と一口に言ったって、職種は様々だ。医師や看護師だけが医療従事者ではない。そもそも医師や看護師だって、好き好んで命を懸けているわけではないだろう。職業的な使命感や責任感というのも、個人差があって当たり前だし、本人の個人的な感情とは全く別のものだと私は思う。

それに対して、「最前線で戦っているヒーロー」「命を懸ける覚悟があったからこの職業に就いた人」「危険を顧みない勇気ある素晴らしい人」と一括りにして神聖視するように扱うのはどうなんだろうか。完璧で理想的な、イメージ通りに高潔な医療従事者がいたらその方には大変失礼で申し訳のない疑問だけれど。

 

そもそもエッセンシャルワーカーと呼ばれる多くの人は、命がけで使命を果たすために仕事します!なんて想定で入社してないと思う。正社員だってパートだってアルバイトだって。まさか、自分がこんな形で危険にさらされながら働くなんて去年の今頃は夢にも思ってなかったんじゃないか。強盗が来るとか、事故に遭うとか、危ない客に殺されるなどの確率は普段から0ではないとしても。

少なくとも自分がレジのバイトしてた時は「誰かの生活を支えるため、守るため!命がけでバイトするぞ!おー!」なんて意気込みはなかった。時給870円とかだったし。誰かのためじゃなく、自分の生活の足しにするための労働だ。

だから「私たちの生活を守るため云々」のフレーズを聞くとえ~…と思ってしまうのだ。生活の手段として働いてたらなんか突然謎のウイルスがはやり出して最悪~みたいな状況で、「私たちのために…」とか勝手に感動仕立てにされたら私ならブチギレると思う。

 

勿論、感謝や敬意を示すことが悪いのではない。レジに立っていたとき、店員をぞんざいに扱わないお客さんの存在は確かにありがたかった。この状況下で疲弊しながら働いている全ての人に敬意を持つこと、自分がしてもらったことに対して感謝を示すことは大切だと思う。

ただ、「私たちの生活のために」などという言葉は、「今もそういう労働に従事している人たち」と「私たち」の間に線を引いている。「私たちのために」という言葉はこの状況において、誰に使うにしたってかなり傲慢じゃないか。与えられる側にいる私たちと、私たちのために働く人たち、という線引きの意識が無いとは言えないと思う。そして、その人たちを「危険を顧みない勇敢な人」と定義して、ある種好き好んで自発的に働いているように錯覚するのはあまりにも暴力的だ。

 

ジャニーズSmile Up! Projectの一環としてYouTubeにアップロードされた動画で、近藤先生が述べていた言葉が印象に残っている。

「医療者のためにとかよく言っていただくんですが、ご自身のために。」

(https://youtu.be/75u-4r5r3eYSmile Up! Project ~続けよう、僕らにできることを。~「最前線でウイルスと対峙する医師インタビュー」Sexy Zone 中島健人 より)

今やっている自粛やステイホームの本質的な意味はこれだ。

自分の身や家族などの同居している人を守ること。勿論、自分が感染しないことは、感染の拡大を抑えること、エッセンシャルワーカーと呼ばれる人にうつさないこと、そして医療に関わる人への負担を減らすことにはつながるだろう。

けれど、まずは自分のためだということを忘れてしまったかのように、医療従事者のためだとかエッセンシャルワーカーのためにという語りがしばしば行われる。そしてそれらは大体、"感謝"とセットだ。

誰かのためにという悦に浸りながら、線の外から人に一方的に使命を背負わせ、“感謝”をして良い気分になること。昔からよくあることだけど、私は好きではないし、良くもないと思う。この"感謝"は決して、その労働と等価交換にはならない。物資にもお金にもならない。自分の感情のための感謝であり、決して相手のためではない。

誰も私や私たちのために存在しているのではない。「私のため」「あなたのため」という考えは非常に厄介だし、危険でもあると思う。アイドルを応援するにあたっても、こう考えたことは覚えておきたいと思ったので、まとめた。

 

マッチングアプリの話

私は暇になると決まってマッチングアプリをインストールしていた時期がある。去年の秋冬頃の事である。


ちなみにここで言う"暇"とは、「仕事は忙しくないので時間はあるものの、マジで金がない。具体的に言えば所持金が1万5千円切ったものの給料日まであと10日間くらいあるし、特に現場の予定はなくて、人生が非常につまらない状態」のことである。


あ〜マジで金がない。


Twitterで舞台毎公演レポあげてるような人って何者?パパ活?石油王?触れたコピー用紙がチケットになる能力者?


クソ〜…映画観たい、美味しいもの食べたい。でもめっちゃ金がない。なんかあったら死ぬ残高だ。いやもう死んでるなこれ。

 

以上がここで言う"暇"である。


「……金蔓を見つけなくてはならない!私が残高1万5千円でも映画観たり美味しいもの食べたりするには!要するに世の中で言う彼氏!養ってくれる人間が必要!最悪固定でなくてもちょっとチューとかしたらお金払ってくれるようなタイプの男を!何人か!必要!!!」


この"暇"な状態の時、ガチでめちゃくちゃにバッド入るから、正直最低なことしか考えられない。彼氏から貰った〜💓と言って高級アクセサリーをインスタにあげたり、さりげなく高級なランチを匂わせたり、絶対にしてやるから見てろ世の中。クソが。しか考えられない。要するに、人として最悪の状態が私にとっての"暇"だ。


実際、男に養ってもらって自分の収入に見合わない贅沢をするなんてのは無理だ。

 

ちなみにパパ活アプリも登録したことあるけど怖くなってやめた。この話もいつかするけど、わたしは非モテの小心者なのだ。


数少ない恋愛経験がマジでロクなもんじゃないし、現在の生活は出会いもない。そもそも今、初対面の若い男相手に話すネタがない。若い男(ジャニーズ)の話はできても、若い男相手に話すネタがない。


私はモテない。(当たり前だよ)


しかし、このクソ暇な時間を生かして何かを学びたい。同年代の男との、最初から恋愛前提で始まるようなコミュニケーションを学びたい。


そこで私が思いついたのがマッチングアプリである。


若い男(多分そのはず)と、メッセージのやり取りをすることで、多少は若い男と会話できていた頃の感覚を取り戻せるのではないか?まぁ交通費はかかってもあわよくば映画とかご飯とか奢ってもらえるかも知れないし……下心丸出しである。(CV:キートン山田


初めてインストールしたのはTinderだ。

仲のいい友人がこれでめっちゃ浮気する彼女を作っていたので、まぁまぁ出会えるんだろうなと思ったからだ。


美容室でカット後に撮ってもらった激盛れ写真をさらにドチャクソ加工してプロフにした。誰だこれ。


始めてみると面白いくらいマッチする。

もはや架空の人物と化したプロフィールで私はTinderを泳いだ。


プロフは「映画とカフェ巡りが趣味です。おいしいものとか一緒に食べに行ってくれる人とお話ししたい!」みたいな感じにした。「美味しい」を漢字で書かないのがこだわりだ。(最低)


すぐに「会いませんか」とか「今からやれませんか」みたいなのは無視して、メッセージのやり取りが続きそうな人を何人かストックした。あくまでやりとりの練習だから……なんかそういう恋愛モードみたいなのを理解するためだから……


5人くらいと、1〜2週間くらいメッセージのやり取りをした。全員、プロフの「映画」に反応してきて、映画の話をしていた。でも全然趣味が合わなくて、5人のうち1人には「一番好きな映画は?」と聞かれて「アウトレイジ!一番最初のやつ!」と答えたらそのあとメッセージが返ってこなくなった。多分「君の名は」とか言えば良かったんだろうな。(?)


そんな時、ある映画が公開される。

プーと大人になった僕」。


5人のうち1人が脱落し、4人となったTinderの男たちは、全員判で押したようにこう送って来た。


「プーさん観に行かない?」


怖ーーーーッ!!!!全員プーさん観たがるやん!!!全員中身同一人物か?!?!それとも、Tinderの男は全員、プーさんしか映画知らんのか?!?!あ、だから私がアウトレイジの話したら1人死んだの?!?!怖、プーさんしか映画がない村、それがTinder……


ビビった私は誰にも返信せず、Tinderを退会した。

 


次に暇になった時は、pairsをインストールした。大学の先輩が飲み会の時に「pairsマジ出会える!趣味のコミュニティみたいなのあって、そこでサッカー好きな子探してこないだ一緒試合見に行った!」と言っていたからだ。ちなみにその先輩からスマホ取り上げてしばらくみんなで先輩のpairsで遊んだので、なんとなくどんな仕組みなのか分かっていたのもデカイ。


早速、帰ってpairsをインストールして、アカウントを作った。映画のコミュニティを覗いてみる。「ディズニー映画好き集まれ⭐︎」みたいなのばっかりだ。「園子温作品ファン集まれ」みたいなのは覗いてみたけど、あんまりみんな園子温好きそうじゃなかった。北野武ファンのコミュニティとかないのかな?って探したけど無かった。「新海誠好き集まれ✳︎」「マーベル大好き」「洋画好き」とかあっても「北野武ファン集まれ〜!」は無かった。

 

誰もアウトレイジの話してなくてショック死した。いや、別に私も北野武ガチ勢とかではないけどさ……なんかショックで……


pairsは誰ともやりとりせず即退会した。

 

 

しばらくすると私はまた暇になった。


次こそ負けねえ。プーさんの公開期間はとうの昔に終わった。プーさんが終わったということは、プーさんに誘う男もいない。


チャンスだ。(?)


Tinderを再インストールした。


次はもう少し読書好きとかもアピールして行こう。ガチ勢とは言えないが、文学とか好きだし。これは映画がダメだった時の保険だ。あと職業適当にアパレルって書いた。なんかモテそうじゃん。(最悪大嘘グランプリ)


何人かとマッチした。載せてる写真がガチならかっこいいな〜って感じの人とかもいた。この手の人は大体ファッション好きで、アパレル勤務という虚構の釣り針で釣り上げていた。


活動を2週間くらい続けたところで、なんだかプロフィールがガチ文学好きっぽい人を見つけた。


マッチせぇ〜!!!!

と念じ、画面をシュッとした。マッチした。


めっちゃ丁寧なメッセージが送られてきて、全然プーさんに誘ってこなさそうだった。スゲー。やったじゃん。


でも会う気とかないし、なんかおすすめの本とか教えてもらえればいっかな…みたいなテンションでメッセージを返した。


めちゃくちゃな勢いでメッセージが返ってくる。


彼はフランス文学が大層好きとのことだった。残念、私は基本的に日本文学ばっかり読む。まぁ、これも新しい分野に触れるチャンスか…と思うのも束の間、相手のフランス文学おすすめ紹介はものすごい勢いで送られてきた。


おすすめが一通り済んだところで、彼は私に問いかけた。


「めろさんは、哲学は嗜みますか?」


・・・?


「高校の時倫理とか好きだったし大学でも哲学の授業いくつか履修しましたよ」


「ではもちろん、純粋理性批判は読まれていますよね?」


「いや〜、勿論書名は知ってますけど、読破はしてないです」


この返答の後何が起こったか。

 

普通に怒られた。


彼曰く、文学とは哲学が根底にあるものであり、基本的な思想を解さずに文をなぞって理解したような気になっているのは言語道断とのことだった。マジかごめん。


あなたの文学ソウルを完全にナメていて、なんか、ほんとごめん……


カント、著書ちゃんと読んでなくてごめん。テストで散々あなたの名前書いたけど、私はあなたの著書を読んでいないことで今、顔を合わせたことのない男性から怒られています。


あれを読め、これを見ろ、彼の教育指導は複数のメッセージに渡って続いた。


マッチングアプリの映画のコミュニティに自分が思う「映画好き」がいなかったことにがっかりした私も、この人にとっては、「自分の思う文学好き」ではなかった。何となく会ったこともない人のこと「プーさんしか観る映画思いつかねーのかよ」って馬鹿にしていた私も、他の人から見たら舐めプのにわかだった。不快だったろうな。


あぁ…他の趣味についても自分は中途半端だ。雑誌の写真見たらすぐ「それ芋誌の2018年の○月号!」とか言えるタイプじゃないし、コンサートの後すぐ記憶めちゃくちゃになるし、大して金も積めないし……とめちゃくちゃ凹んでそのままTinderは退会した。

 


それ以来マッチングアプリはやっていない。

 

3戦3敗である。いや、そもそもちゃんと戦ってすらないか。


マッチングアプリを通して自分の相手を舐めてかかる態度はガチ反省したけど、それとは別に自分の好みに無理やり相手をはめ込もうとする人間もろくなもんじゃないと思う。


別にあの時の人に好かれる必要もないし、これからもきっと誰かの意見では純粋理性批判は読まない。マッチングアプリも、もうやらない。

天気の子についての余談

この記事に関する余談です。まだ天気の子の話するんかい。

目次

 

この作品を「無責任」と捉えることについて

 さて、ここからは全部超絶余談だ。

 ヒロインに対する恋と愛で主人公は結果的に東京を水没させる。しかし、もちろん責められるべきは東京を水没させたことではない。あくまでこの作品の主題は、「全体主義からの脱却と個の尊重へのパラダイムシフト」だ。恋と愛を貫くために、確かに主人公は手段の選択を誤って刑法に抵触している。しかしその部分はしっかりと責められて、償われている。

 主人公が実家に戻り、保護観察処分という判決が下るまで、そして処分期間中どう暮らしていたのかは描かれていないため、分からない。けれど、確かに責められるべき点は責められ、償われているのだ。批判的なレビューには、この点が無責任だとかなんだとか書かれているが、私は全くそうだとは思わない。

 あくまでこの作品の主題は、「全体主義からの脱却と個の尊重へのパラダイムシフト」なのだ。個の尊重を優先したことは責められるべきではない。また、この作品に対して、社会への責任を求める姿勢こそ、皮肉にもこの作品が否定する全体主義そのものの考えだと思う。

 

純粋な恋や愛とはなにか?

 アニメファン層以外もターゲットに据えているからというのもあろうが、主人公の行動の根本が性欲由来っぽくないのもポイントの一つだと思う。(新海監督がフェミ界隈に公開当初ずいぶん叩かれていたのは承知の上で)

 この映画は、ヒロインに対するラッキースケベもなければ、キスシーンもない。動物的な欲を直接描写せず、あくまでプラトニックな書き方をしていると思う。

 相手が存在しているだけでいいというような、純粋な恋心とか愛の存在は、人間が動物である以上、限りなくフィクションに近く、信仰や祈りにも近い。対象が異性ならなおさら。本田翼が演じるキャラクターにラッキースケベシーンがあり、ヒロインの陽菜にはないのも、この純粋な恋心に対する信仰の表れなのかなと思う。(まぁこういう女性キャラの扱いの差とかは批判されるポイントではある)

 

 異性に対する純粋な恋心や愛の存在を信じたい。そして、その純粋な恋心や愛が持つ、超常的な力を信じたい。それらの気持ちによる行動には価値があり、神聖であるという信仰。

 この信仰は自分がドルヲタとして持っている感覚にも通じる様な気がする。(接触したいとか、相手とのつながりを望むとか、そういうのがない。非ヲタの上司に「やっぱケンティーとキスしたいとか思うの?」と聞かれると、セクハラ以前に、ガチでそういうスタンスではないので困る)私はもしかしたら、性欲由来でない純粋な恋や愛というものを信じたくてヲタクしているのかもしれない。

 

ドルヲタは帆高にはなれない

 陽菜は晴れ女の仕事そのものにはやりがいを感じていたし、運命を受け入れる覚悟をある程度持っていた。しかし、主人公はただただ、陽菜の存在の存続を望んで、そのやりがい(≒社会に対する承認欲求)を捨てさせることや、覚悟を反故にして地上に戻ってくることを選ばせる。愛にできることとして、消耗と消費から陽菜を守る。これには、アイドルのヲタクやっている身として複雑な気持ちにさせられる。

 私の好きな人は大勢からの賞賛を得ることで身を立てている。本人もそのために、想像もつかないような努力をしている。  

 しかし、有名税という大義名分のもとで、よく知りもしない人から心無い言葉を浴びせられたり、プライベートでの行動にまで難癖をつけられたり、熱心なファンだった人がアンチになったり、ストーカーとして逮捕されるファンがいたり、ファン同士の争いがあったりと、悲しいかな、完全に環境がクリーンになることは無い。見ていて正直、こんなにつらい思いをしている(と推測される)ならもう辞めちゃってもいいよって、思ってしまうことがある。でも、ヲタクは、帆高ではない。

 競争社会の中で揉まれまくる好きな人を、祈るような気持ちで見守ることしか、根本的にはできない。セカイ系アニメから、「戦えば世界が救われる」という要素を取り除いたようなものかも知れない。天気の子は、あくまで一般的な個人間の恋愛の話だが、アイドルとファンの間にある愛はまた違う。大勢とシェアされている恋の対象、多くのファンと一人のアイドル。構造からの脱却は実質不可能だ。

 帆高とは違う形で、愛に意味づけをする必要があるだろう。この中で、自分がどうあるべきかという、ヲタクとしての究極理想スタイルはまだまた追求の余地がある。大丈夫には程遠い、そう思う。

 

超絶どうでもいい話

IN THE STORMの「荒れた時代でも高く帆を張れ 勇気という名の船を出そう」って歌詞が大大大好きだから帆高って超いい名前じゃん!と思う。マジ息子の名前の候補だわ(結婚・出産の予定、ナシ)